それでは本編に戻りまして行ってみよう〜
課題をこなして毎日を送ってきた千本松。
そんな僕にも2年という月日が流れました。
僕が通っていた学校は2年で卒業して就活の道に進むか。
大学院的な位置の研究室に進んで学校を運営するK社への入社を目指すか。
の大きく二択でした。
研修室へ進むには当時、定期的に行われていた
学校内でのコンテスト(作曲コンテストとか効果音コンテストとか)
でも受賞歴が重視され、後は現役クリエイターの前で
自分の企画や作品をプレゼンし、合格すれば晴れて研究生という流れでした。
そんな僕の進路先は、というと後者でしたね。
(もともとK社に入りたくてこの学校に入ったようなものですし)
コンテストは課題で死にそうになりながらも
定期的に出し続け、良い時は最優秀賞なんかも頂いていたので
受験資格は満たしていました。
研究室と行ってもたくさんあります。
ゲームセンター用のアミューズメント機器を扱う所。
家庭用ゲーム機を扱うコンシューマー部門。
パチンコ、パチスロを中心とした遊技機部門。
元々ときメモが切っ掛けで作曲を始めた千本松。
迷わずコンシューマー部門へ応募するが・・・現在募集はしていないとの事orz
それならば気持ちを切り替えてビーマニやギタドラを作りたい!と思い
アーケード部門へ応募しました。
こちらは話が通り、プレゼンの日程等が進んで行きました。
自分はギタリストだし、当時周りでも音ゲーがすごく流行っていて
僕もユーザーの一人だったので入れたら何と嬉しい事か。
そしてプレゼンの日を迎えるのです。
プレゼンをした相手はDDRでお馴染みのN氏とアーケード部門の本部長。
N氏は一般的にも知名度があったため超緊張しましたね。。。
そこで自分が過去に作った作品等を発表、後は音ゲーへの熱意を伝えたりして
何とかその場を乗り切りました。
N氏はアーティスティックな方なのでスーツで受験に臨んだ僕に
「スーツはあかんやろ、もっとギタリストらしいかっこをしてこい」と
会っていきなりダメ出し(笑)
世間一般的に正装と言えばスーツだし・・・うーん
今思えばあの時の正解は何だったのだろう。。。
こうして受験を終え、卒業まで授業や課題は続きました。
友人の多くはK社を断念し、他のメーカーを受けたり
そもそも音楽自体、続けるのがキツイとの理由で一般企業を受けたり
様々な友人がいました。
そして結果発表の日を迎え、千本松は晴れて合格の切符を手にしました。
学年で言うと合格したのは僕1人のみ。
今思えばものすごい競争率の中を突破したんだな〜としみじみ。
研究室は現役クリエイターの方の指導を直接受けながら
行く行くはインターン生として現場へ入り、最後の試験を突破したら
晴れて入社、という流れでした。
研究室も今思えば地獄の日々でしたね。
一週間に1〜2本ペースで「音ゲーを想定した曲」という課題を
出し続けられ死にそうになっていました。
この学校に来てから何度死にそうになった事か。
とにかく千本松は必死でした。
音ゲーを想定した曲と行っても、音ゲーもいっぱいありますから
W氏が来た時はポップン向けの曲、DJ T氏が来た時はⅡDX用のトランス等
課題も多岐に渡りました。
でも、中でも評価されたのはギタドラ向けの曲でしたね。
自分の得意分野で戦えるので課題の中でも
凄くやりがいを感じていました。
研究生と言っても希望すればこれまでの授業を継続的に
受ける事が出来、授業、ギターレッスン、共に続けて
限界まで自分を追い込んで行きました。
そうこうしている間にあっという間に1年が過ぎ
千本松はインターン生として制作現場に入る事になったのです。
そこからがまた地獄の日々の始まりでした・・・。
つづく〜
がんばれご主人! byぽんず |
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