それでは続き行ってみよ〜
良さげな学校を見つけた千本松。
早速行きましたよ学校見学!
サウンド制作学科の教室に入ってみると
本格的な機材がずらり!
「お〜!」と思いながら案内して頂いた講師の方に
事細かに説明を受けました。
そしてその後
「時間的に問題が無ければ現役クリエイターの
講演会があるから参加してみないか?」
とのお話が。
ありがたや〜!他の学校ではそんなのなかったし
もちろん千本松は参加する事に。
そして参加してみてびっくり!
講演会でお話を聞かせてくれるお方が
ときメモのメタルユーキ氏とメタルギアの小島監督!
お二方とも大好きなクリエイターだったので
偶然にしては出来過ぎなぐらい幸運な千本松でした。
そんなこんなで大満足の千本松!ほぼ自分の中では
志望校が決まっていました。
両親とも相談し、後日願書を出し
面接や試験を受けて合格!晴れて千本松の進路は決まるのでした。
と言っても学校ではまだ後期受験組の人がいたり
自由登校になったりで、千本松は出来るかぎり作曲と
ギターの練習に明け暮れる毎日を送りました。
U君から卒業ライブの話を持ちかけられたりして
それはそれは充実した毎日でしたね!
そんなこんなで時は流れ・・・
無事に卒業式を迎えました。
これからの未来へのワクワク感とお世話になった友人との別れ
様々な想いが交差した日でした。
そして「作曲を仕事にするまでは帰らない」と決め
実家を後にしいざ新境地へ!初めての一人暮らしなる物が始まりました。
春、新学期を迎え学校へ初登校。
おー!おるわおるわ!作曲学びたいやつ!
これまでの経緯は違うけど目指すところは一緒!
まさに戦友との出会いでしたね!
何故タイトルが戦場で戦友なんて言い方をするかって?
それは後々解ります(笑)
とにかく同じ所を目指す同士たち。
千本松はすぐに周りと打ち解ける事が出来ました。
な〜んて和気あいあいな初日でしたが
いざカリキュラム(授業)が始まると
周りのレベルの高さに圧倒されましたね。。。
またその当時の講師陣からは圧倒的な「課題」「宿題」という
手榴弾を投げつけられ、千本松は死にものぐるいで付いて行きました。
多い時で一週間で4曲とかざらでしたからね。
寝る暇もないぐらい忙しい日々を送りました。
課題を提出しないと単位とれないし
しかも作曲なんて生物だし行き詰まる時もあるし
正直「俺の人生終わった。。。」と思った事が何度あった事か。
周りの大学生は優雅にキャンパスライフを送っているようで
後悔した時もありましたが、自分が決めた道!
千本松は倒れそうになりながらも必死でくらいついて行きましたよ!
入学当初の話に戻りますが
「こんあやつに絶対勝てない」というような人物がいたんですよ。数名。
彼らも鬼の手榴弾攻撃に耐えきれず次々と倒れて行きました。
音楽を真剣にやる、という事はそれぐらい大変な事だったのです。
そんな自分も無理がたたって過労で倒れて救急車に乗ったのは良い思い出(笑)
でも、今思えばこんなに忙しい事にも理由があったんですよ。
音楽なんて2年やそこらで学びきれる訳なんてないのです。
それを出来るだけ濃縮して教えられるだけ教えたい、と講師の1人が
仰っていました。
そうして1年が過ぎると生徒の数は入学した時の三分の一ぐらいに。
こんな状態だからこそ友人よりも戦友の方がハマるかな、と(笑)
全員が戦友でありライバル!負けまいと必死な千本松でした。
そしてある日の授業、「ミヤケ!ギター弾くんだだって?うちで教えてあげようか?」
とF講師のお言葉が。
ミヤケ=当時V6の三宅に似てるからという意味不明な理由で付けられた
千本松のあだ名。
作曲は全力で勉強してるけどギターももっと上手くなりたい、そう思っていた
千本松は即答で「お願いします!」と返答するのでした。
こうして平日は学校で夜までカリキュラムを受け
土日は課題とギターのレッスンで更に大忙しになった千本松!
ここまで来たら学べる物は全部吸収してやる!という感じでしたね!
当時は普通のバイトも出来なかったので
音楽系のバイト、PCゲームや着メロの耳コピのお仕事、小さい劇団の挿入歌等
色々やりましたね。
そんなこんなで2年が過ぎ研究室(より制作現場に近い環境で学べる所)
の試験を受ける事になったのです。
つづく〜
ま、がんばれよ byぼんず |
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